校区の概要

 濃尾平野に位置する墨俣町は、長良・揖斐の二大河川に挟まれて、古くから水との深い関わりを持つほか、鎌倉街道や美濃路の交通の要所として近郷近在の交通・経済文化の中心として繁栄してきた宿場町で、歴史のある町である。
 「すのまた」の名は、千数百年前からその地名が各種の文献に記載されており、古くは「宇治拾遺物語」の「壬申の乱」の記述に「美濃の国洲股」とある。その他、墨股、洲股、墨俣等いろいろ書かれているが、明治30年に1町3村が合併して墨俣町が発足した。
 木下藤吉郎が一夜にして築いたと伝えられる町のシンボル的存在である墨俣一夜城のほか、西美濃三十三霊場の一つである明台寺の「橋杭笑地蔵」や源平墨俣川戦古戦場、墨俣宿、墨俣本陣等、史跡・旧跡が多く残っている町である。
 さらに、町の東端を流れる犀川の堤には、桜並木のトンネルが続き、旅館、料理店、商店がよく発達し今もその面影を残している。また、町当局の住宅政策により町の西部や南西部が、住宅地域として発展し、且つ、昔から東西の交通の要所だけあって、町は近代的ないぶきに満ちている。
 地域住民の一般的な意識は、穏健着実であり人情細やかである。教育に対する関心は、昔から極めて強く大変熱心であり、学校教育への協力や援助はもとより、子弟の指導や自己研修には積極的である。
 平成18年合併により大垣市墨俣町となった。

校区地図


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